十二国記について語りたい!

十二国記のネタバレ感想・展開予想・愛を叫びます

風の海 迷宮の岸(3)

第二章

蓬山に、祭りの季節がきますぞえ!

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泰麒が流されて十年。ようやく、蓬莱から泰麒が帰ってきた。止まっていた蓬山の時間が、主人を迎えて動き出す。

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"「延台輔はしばしば虚海を渡っている様子。見つけてくださるなら延台輔であろうと思うたが、やはりそうじゃったの」

 麒麟がしばしば遠出をするのは誉められたことではないが、この先つよく咎めるわけにもいかないだろう。"

おてんば延麒。今後はさらに自由に遊びに行くようで。

 

"ーー泰麒。

なにを誤っても、あの光が泰麒か否かを誤ったりはしない。"

このセリフ、魔性の子を知る読者にとっては重い。泰麒のことしか考えられず、真実が見えなくなり、泰麒に汚れを負わせてしまった女怪。彼女がのちに犯してしまう、大きな過ちを思うと辛い。

 

"自分はもらわれてきた子だったから、祖母に嫌われ母の迷惑になっていたのだ。木の実から生まれたので、どうしても祖母や両親が喜ぶようにふるまうことができなかったのだ。"

泰麒の涙の理由。

"彼がもう少しがんばれば、なにもかにもがうまくいって、誰も怒ったり泣いたりせずにいられたのではないかと思えるのに。"

この感情は、陽子が王になることを決意しようというときの感情に近い。けれども、

"それは郷愁ではなく、愛惜だった。彼はすでに、別離を受け入れてしまっていた。"

これは陽子と決定的に違うところ。王のように成長してから選ばれるものではなくて、麒麟という王のために生きることが定められたいきものだからか。”こちら”との結びつきが、ひとよりも強い。

 

泰麒、今晩はたくさん泣きます。

風の海 迷宮の岸(2)

第一章

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〈あらすじ〉

泰麒を守る女怪である白汕子は蓬山で孵った。しかし、泰麒の誕生を待ち焦がれる蓬山を蝕が襲い、泰果は虚海の彼方へと流されてしまう。

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話の流れがわかるように本文を切り出そうと思うと、ものすごい分量になってしまう気がするので、気になるところだけバッバッと取り出して書いていきます。

"彼女は卵のかけらをしばらく見やって、次いで視線を上げた。目の前には白い枝。白銀(しろがね)でできたかのような枝は頭上に伸びて、はるか上空で堅牢な岩盤に吸い込まれている。"

汕子誕生。読み返して初めて気づいたけど、女怪はどうやら捨身木の根に実る。

そして、きました!泰麒関連で「白銀」という単語がどこで使われているかをチェックしようと思っていたら、こんなに早く!…単なる色の描写かもしれないけど、続編タイトルと関連付けて考えたくなってしまう。"白銀のおか"って、蓬山??

 

"老婆は立ち上がった彼女の、胸のあたりまでしか背丈がない。"

そう、汕子は大きい。馬くらい?女で、首は魚、上体は人、下は豹、尾は蜥蜴の生き物なんて、そりゃ日本に現れたらホラーになる。発売当時、リアルタイムで読んでいた人は、このあたりで『魔性の子』のサンシだと気づいて驚いたんだろうか。

 

"苔むした岩盤の上、空を背景にのびやかに枝を張った木の、白い白い枝には金の果実がひとつ実っている。"

泰果がみのっている様を描いているが、白い枝に金の果実がなる様子は、どことなく「白銀の墟 玄の月」を連想させる。白銀の墟はともかく、玄の月は泰麒で間違いないと思う。驍宗を支え、戴を静かに照らす月である黒麒麟。白銀の墟はもちろん驍宗だと思っていたのだけれど(表紙イラストもそうだし)、"天"との関係や蓬山が中心となる物語なら、蓬山を象徴するワード、と捉えることもできるのかも…。

 

"中央の高い山を崇高、周囲四方に連なる山をそれぞれ蓬山、華山、霍山、恒山と呼ぶ。蓬山は旧(ふる)くを泰山といったが、凶事あるたびに改名して、ここ千年ばかりは蓬山と呼び習わしている。"

"五山は西王母の山と言い、蓬山は王夫人の山だと言う。残る四山の主人は諸説あってさだかではない。その真偽はともあれ、いずれにしても五山は女神・女仙の土地だった。"

黄海という厳しい場所が女神の地というのは、少し意外。神々の住まう場所として象徴的に描かれるのは五山が主だと思うけど、男の神様はどこにいるんだろう。あと、西王母は「山海経」などに登場するけれども、王夫人は三国志あたりのチョイ役だと思うので、なんだかこう並んで登場すると不思議な感じ。

 

"彼女は女仙のひとりだった。十八、九の娘に見えるが、女仙の外見を信用してはならない。いかなるいきさつでいつごろ昇仙したのか、彼女自身ももはや覚えていない。"

女仙禎衛について。蓉可と話すときの口ぶりや、毅然とした態度から、四、五十台の女性を想像してた。玉葉が「老婆」と表現されているけど、いかに玉葉と他の女仙の立場が離れているかを実感する。ひとりだけ、圧倒的に神に近い存在なんだろうな。

 

"蓬山にはいま若い麒麟がいるが、蓉可はあまりに新参なのでその麒麟にかかわることを許されなかった。"

この麒麟、誰だ?景麒??(よかったらコメントください)

 

そして、玄君登場。

"歳の頃はわからない。若いようでもあり、すでに中年を越えているようでもあった。"

…これがよくわからない。冒頭で汕子に名前を与えていた「老婆」は、玄君ではなかったのか?

"「ときに、戴の女怪が孵ったとか」"

"「名は?」「汕子、と」"

このセリフからも、明らかにこのときが初対面。あの老婆は玄君じゃないか…。

もしかして、王夫人?え、王夫人、女怪の誕生に立ち会うの??

 

"この世の外を蓬莱といい、崑崙といった。一方は世界の果てに、もう一方は世界のかげに位置すると伝えられる。"

崑崙は、世界のかげにあったのか…てっきり、西の果てかと。

 

汕子、号泣回。老婆の謎…他のヒントも探そう。

 

 

風の海 迷宮の岸(1)

ついに、第2巻の振り返りを始めることができました。

第1巻と第2巻の大きな違いのひとつが、「プロローグ」。第1巻は第一章から始まっていた物語に、ここではちょっとした前置きが付け加えられます(3、4巻とかではどうだったかな。思い出せないけど)。『魔性の子』や『月の影 影の海』の後半でちょっとずつ姿を見せてきた泰麒。その物語の壮大さを予感させるような、「プロローグ」の存在は、なんだか意味ありげですよね。

 

…今気づいたけど、泰麒に関係する物語の時系列としては「風の海」→「月の影」→「魔性の子」/「黄昏」→「白銀」の順番になるのか。とんでもない作家だな…小野不由美さん…

 

プロローグ

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冬のある日の夕方、「彼」は些細なことがきっかけで家から閉め出され、中庭に立たされていた。寒さに震えながら祖母と母が言い争う声を聞いていると、倉と土塀の隙間から 、彼を手招くように動く腕が見えるのだった。

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"雪が降っていた"

この書き出しで、なんとなく「月の影」の冒頭を思い出した。

暗闇の中で水滴がしたたる音だけが響くあの冒頭と同様、水のイメージから始まる。ただ水が滴っているだけ、ただ雪が降っているだけなのに、何かが起こりそうな不穏な空気。最初の見開きだけで、小野さんがファンタジー作家として(も)天才であることがわかるよね…。

 

"そもそもは、洗面所の床に水をこぼしてふかなかったのは誰かという、そんな些細な問題だった。弟は彼だと言い、彼は自分ではない、と言った。"

"彼は常々祖母から、嘘をつくのはもっともいけないことだとしつけられてきたので、自分が犯人だと嘘をつくことはできなかった。"

"彼は自分ではないとくりかえすしかなかった。"

"犯人を知らなかったので、知らないと答えた。そうとしか返答のしようがなかった。"

この不自然なまでの素直さ。生真面目とは何か違う、まっすぐな性質。

彼に対して周囲が抱く違和感や馴染めなさを、しっかり描いている。

 

雪の中寒さに凍える「彼」=泰麒のもとに、暖かい風が流れてくる。

"ふいに首筋に風が当たった。すかすかするような冷たい風でなく、ひどく暖かい風だた。"

ここまでで描かれる、周囲からどうしても浮いてしまう彼の姿と、対照的な「あちら」のあたたかさは、泰麒にまつわる物語全編に一貫している。彼と二つの世界の距離感、関係性をこのプロローグで印象付ける。

 

"腕は肘から下を泳がせるようにして動かしていた。それが手招きしているのだと悟って、彼は足を踏み出す。"

廉麟の手助けにより、呉剛環蛇でこちらに手を伸ばすのは、汕子。この後の物語を知っていると、この場面は「汕子、よかったねぇ…」と女仙目線になってしまう。

 

"短い冬の日が暮れようとしていた。"

まさに、逢魔が時というやつでは。一介の日本人としてみるとめちゃくちゃホラーな「魔性の子」的シーンの冒頭でした。

 

 

月の影 影の海(8)

第八章

 

〜お詫び〜

前回の更新から長く日が空いてしまい、申し訳ありません。

前回の更新時は学生だった私も、就職などの人生の転機を迎えて生活が変化しました。

しばらくは慌ただしい日々を送っていましたが、ようやく少し落ち着き。

ぼちぼち再開していこうと思います。

新作発売に間に合いますように(…間に合うか???)

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〈あらすじ〉

  玄英宮に滞在する陽子は、楽俊やジョウユウに背中を押され、悩み苦しみながらも王の座に就くことを選ぶ。延王に軍を借り景麒を取り戻した陽子は、改めて景麒と主従の契約を交わし、王としての新たな人生を歩み始める。

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書きながら展開を思い出していく感じ。不安定な文章が続きますがご容赦を。

 

延に王宮に招かれた陽子が、与えられた部屋に入る場面から。

"所在なくて陽子は大きな窓を開ける。フランス窓は床から天井までの高さがある。"

テーブル、グラス、カーテン、テラスときて、「フランス窓」。こういう陽子寄り(日本に住む我々寄り)の表現が、この物語を読みやすくしている大きな理由だろうな。あちらの世界に迷い込んだ陽子と同じスピードで、あちらの世界に慣れていく感じ。

 

"窓を開けると潮の匂いが通った"

こういうさわやかな潮の匂いは珍しい。自分の背負っているものの大きさに怖気づく陽子が、目の前の景色が知っている「雲海」とは別物であることを感じ取る一方で、爽やかに前進していくようなイメージが漂う。

 

陽子に王になってほしい楽俊と、王になりたくない陽子の会話がしばらく続く。

"王は麒麟に選ばれるまではただの人だ。"

楽俊のセリフなのでどう捉えるかは考えどころなんだけど。人が王になる瞬間はいつなのか問題は、根が深そう。このセリフは微妙に事実と異なるとは思う。麒麟に見つけられ、かつその時に王たる資格を行動で示すことのできていれば、王なのかな。うーん…。

 

以下、六太のセリフ。

"が起これば災害になる。麒麟だけならちょっと風が吹く程度だけど、王が一緒だとなると大災害になる。あちらにだって被害は出るんだからな"

麒麟だけなら風が吹くだけというのは、倭にしょっちゅう遊びに行ってる六太ならよくご存知。王が一緒だとどうなるかというのは、六太が尚隆と契約を結んで連れてくる時に理解したのだろう。

 

そして、これまた黄昏に繋がる重要場面。

覿面の罪に関する情報と、何より尚隆と延麒が泰麒の話をするときの微妙な態度の描写。

"これだけは覚えておけ。王には決して犯してはならぬ罪が三つある。一つは、天命に逆らって仁道に悖ること、いま一つは天命を容れずに自ら死を選ぶこと。そうして最後の一つが、たとえ内乱を治める為であろうと、他国に侵入すること"

約五百年の歳月の中で、二人が協力してこの世界を生き抜く術を見出してきたこと、そしてそれだけの歳月を強く生きてきたものの冷徹さも感じる。

 

"しかしながらあのときの陽子は、まだケイキに会っていなかったし、契約も交わしてはいなかった。それでも剣は陽子を主人だと知っていたのだ。"

"天命が先か、選定が先か。"

"陽子は天命を担って生まれてきたのだろうか。それとも、景麒が選んだから玉座を背負う破目になったのだろうか。"

結構しっかり提示されてました。この問題。

陽子を中心に考えるとさらにわけわからなくなる、この問題。

 

楽俊の次の言葉に、ヒントがあるような気はしている。

"いまこの地上に陽子以上に景王に向いた人間はいねえ。天意は民意だ。いまこの地上に、陽子以上に慶国の民を幸せにできる王はいねえってことなんだ。"

唯一ではなくて、あくまでもベストな人間ってことかね。

 

"これが陽子にとっての、物語の始まりである。"

陽子にとっての物語は、いつの間にか尚隆や延麒を巻き込み、泰王と泰麒の物語にもなった。どのような形で語り終えるのか。想像すると少し胸が苦しいのは、読んでくれている皆さんもでしょうか。

 

月の影 影の海(7)

第七章

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〈あらすじ〉

ケイキが「タイホ」と呼ばれていたことから、陽子が景国の新王であることが明らかになった。延王の力を借りて窮地を切り抜け、慶の状況を把握する。

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陽子が慶国の新しい王であることがわかり、物語にとって重要な一言が楽俊の口から発される。

"「王というのは玉座に就くまでは単なる人だ。王は家系で決まらない。極端を言えば、本人の性格とも外見とも関係がない。ただ、麒麟が選ぶかどうか、それだけなんだ」"

そうらしい。しかし、おそらくそう単純な話ではない。王の卵が王になるまでに期間があるようだし、一体景麒が陽子のどこに王たる資質を見出したのかは不明だ。性格には景麒でなくて、天が見出すのだけど。

 

延王尚隆との出会いによって、水禺刀がどういうものかも明らかになる。

"「…水をして剣を成さしめ、禺をして鞘をなさしめ、よって水禺刀というそうだ。剣としても傑物だが、それ以外の力も持っている。刃に燐光を生じ、水鏡を覗くようにして幻を見せるそうだ。うまく操る術を覚えれば過去未来、千里の彼方のことでも映し出すという。気を抜けば、のべつまくなし幻を見せる。それで鞘をもって封じるとか」"

"「鞘は変じて禺を現す。禺は人の心の裏を読むが、これもまた気を抜けば主人の心を読んで惑わす。ゆえに剣をもって封じると聞いた。慶国秘蔵の宝重だ」"

"「…水禺刀は慶国の宝重、そもそも、魔力甚大な妖魔を滅ぼす代わりに封じ、剣と鞘に変えて支配下に押さえ込み、宝重となしたものだ。ゆえにそれは正当な所有者にしか使えん。すなわち、景王でなくてはな。封じ込んだのが何代か前の景王だから、そういうことになる」"

 

天についての記述も。

"「…だとしたら、そのうち景王暗殺を命じた王は明らかになるだろうよ。天が見過ごすはずがないからな」"

"「…国が傾くゆえ、誰が命じたのか分かる」"

ここで気になるのが、時差。覿面の罪は即断罪だけれども、景王暗殺というほどのことをしておいて、それは覿面の罪とは認められない。このシステマチックな世界。

「言葉」によって構築されたルールと、ゆえに存在する抜け穴は、十二国記全編を通して問題になっている。

 『黄昏の岸 暁の天』の、泰麒を連れ戻す件について玉葉に相談しに行く場面でそれが顕著になるわけだけど。陽子のために慶に王師を派遣することについても、実は玉葉に相談済みである。そういう世界のシステムをよく理解した尚隆だからこそ出てくる、次のセリフ。

"ここには天意というものがある。天帝がいずこにかおわし、地を造り国を造り世の理を定めたという"

その上、天意というものは極めてシステマチックである、とそういうわけだ。「月の影」と「黄昏」は関連して考えるべき箇所が結構多いかも。

 

いよいよクライマックス。上巻は辛酸をなめつくした陽子だけれども、楽俊に出会って、延王も登場して、もう怖いものなしだね!

 

月の影 影の海(6)

第六章

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〈あらすじ〉

一人で、逃げつつ働きつつ楽俊を探す陽子。雁国でようやく再会し、二人での旅が始まる。雁国の豊かさと自由さは陽子に希望を与えるが、壁落人という海客の話から、陽子がただならぬ事態に巻き込まれていることが明らかになってくる。

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第六章序盤は、それほど気になる描写はない。

強いて言うなら、

"「お前たち、持っておあげ。軽いからね」"

これ。そんなに軽いのか、と驚いた。幼い子供の手でも軽く感じるなら、水禺刀はとんでもなく軽い武器だ。

 

"「船から降りてきたとき、すぐに分かった。なんだか目が素通りできねえんだもん」"

陽子の美女設定は、結構さりげなく描かれる。

 

陽子が壁落人という海客と会って、話す場面。

"「誰かが虎を手懐けて利用することはできるんじゃないでしょうか」

「妖魔に対してそんなことができるはずがない」"

壁落人は学校で教鞭をとる知識人だけれども、麒麟使令に同胞を集めさせて使役することができるという事実を知らないようだ。各国の法律に精通する楽俊も同様。天上のことというのは、王と麒麟の物語を読んでいると身近に感じるが、市井にとってかなり遠い出来事なのかもしれない。

 

 

月の影 影の海(5)

第五章

昨晩は、新潮社からの新刊初稿の報告に興奮しすぎて、深夜まで書いていた。おかげでまとまらない文章をつらつらとメモ程度に書いたものになってしまって恥ずかしい。最後に『月の影 影の海』全体を振り返ろうと思うので、それまではメモ的要素が強くなるかも(まだどういうふうに書いていこうか、方針ができていないので)。

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〈あらすじ〉

雨の中力尽きた陽子は、楽俊という半獣に助けられる。楽俊と共に雁国を目指す途中、またしても蠱雕に襲われ、衛士を恐れた陽子は楽俊を見捨てて逃げてしまう。

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ここから下巻に入る。

"細い糸を撒いたように雨は降る。"

さりげないけど、すてきな書き出しだな、と思う。それほど激しくなく、静かに降る雨。けれど陽子の体温を確実に奪っていく。上巻の冒頭は、暗闇に水滴の音が響いていた。また水の気配が濃い書き出しだな…なんて思いながら読み進める。

 

何度も読んだファンは、この瞬間を待っている。楽俊登場。

初読の人は、ここまで耐える必要がある。上巻がハードモードすぎる。やさしいネズミが出てくるまで我慢して読まなければならない。

"「ラクシュンはどういう字?」

ネズミはもう一度、笑った。

「苦楽の楽に、俊敏の俊」"

この会話が、楽俊好きにとっては妙に印象に残る。「楽」や「俊」という字を口頭で説明するとき、ついこの例えを引いてしまう。

 

余談だが、小野不由美さんは、女子中高生から寄せられる悩み相談に答える形で、『月の影 影の海』を書いたという。それが本当だとすれば、陽子が見せる生への強い執念は、限界まで追い詰められた女の子に勇気を与えたかもしれない。

"この世界に陽子の味方はいないのだということ。行く場所も、帰る場所もないのだということ。自分がいかに独りかということ。

それでも生き延びなければいけない。味方も、生きる場所もない命だからこそ、心底惜しい。この世界のすべてが陽子の死を願うなら、生き延びてみせる。もといた世界のすべてが陽子の帰還を望まないなら、帰ってみせる。"

私がこの本をきちんと読んだ中学生のときは、陽子がやり直せない人生を、私はちゃんと生きようと思った。彼女にとっては、学校生活はどんなにやり直したくてももう叶わないもの。取り返しがつかなくなってしまったもの。でも、私は違う。もっと違う自分として生きたい。陽子の代わりに。…そう思わせてくれた。

 

話を戻す。楽俊に助けられるわけだが、ここでの楽俊の活躍ぶりは凄い。

人を信じられなくなった陽子の葛藤と第二の変化が、楽俊との関係の中に描かれるわけなんだけれど、楽俊にはもう一つ「説明担当」という役割がある。第五章で楽俊から与えられる情報量はすさまじい。十二国の世界のシステムや地理をそれはもう丁寧に教えてくれる。

陽子自身もこう言っている。

"陽子は少し呆然としていた。たくさんの知識を急速に詰め込まれたせいでもあり、あまりに急激に先の見通しが立ったせいかもしれない。"

 

"表に出る板戸を開けて姿を見せたのは、中年の女だった。"

楽俊の母、登場。そういえば、巧王が倒れ、次の王が楽俊の母になるのではないか?という噂がある。楽俊の名は「張清」。倒れた巧王も張姓だったため、楽俊が次の巧王になることはないが、母の名は物語には登場しない。父はもう亡くなっていて、戸籍上の関係を解消すればもしかして母の姓は張ではなくなっていて、もしかすると…なんて想像したりする。

 

十二国の人々の性質もここで描かれる。

"「作物なんてのは、天気が好くてちゃんと世話をしてりゃ豊作になる。天気がいいか悪いかは、天の気の具合のもんだ。泣いても笑っても降るときには降るし、旱るときは旱る。願ったところで仕方ねえもん」"

"「試験なんてのは勉強すれば受かるし、金なんてのは稼げば貯まる。いったい何をお願いするんだ?」"

この設定、どこかで活きてるのかな。とりあえずメモ。

 

陽子の闘いの中でも特に印象的なのが、蠱雕との闘い。日本での恨みがあるからな。

"妖魔に襲われるか否かは本人の用心深さがものを言うのか?襲われて助かるか否かは本人の力量がものを言うのか?

「……莫迦が」

ーだとしたら、この連中は無力すぎる。"

"余裕の笑みがうかんだ。

ー無理じゃない。"

陽子の変化が、これまでの苦労を物語る。散々妖魔に襲われて、裏切られて、陽子をこんな風に変えてしまったんだよな…。

"身内で血潮が沸騰して、荒れ狂う海の音がする。

ー獣だ。

ーわたしは、間違いなく妖魔だ。"

故郷で自分自身を見失っていた陽子が、ようやく見つけた自分の本性が獣かもしれないと感じて戸惑い、苦しんでいるような。

 

楽俊を置いて去った陽子が、自問自答し、蒼猿と話す場面。何度読んだだろうか。

"ー綺麗事ではない。人として当然のことだろう。そんなことさえ忘れたのか"

この一文が結構刺さった。世の中の「綺麗事」と笑われることの大半が、社会に生きる人として当然のことのように思われてならなかった。

"ー止めを刺してどうする。見捨てただけでもこんなに心に重いのに、殺してそれでどうやって生きていくのだ。命がありさえすればいいのか。どんな醜い生き物に成り下がっても、ただ生きていられればいいのか。"

 もうここからは、刺さる言葉しかない。

"「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしのナニが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい」"

"追い詰められて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいんか。善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか"

"陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに"

説明不要、ですよね。『月の影 影の海』の大切な部分が、ここに詰まってる。

ここまでの陽子の苦しみは、このことを知るためにあったようなもの。