月の影 影の海(5)
第五章
昨晩は、新潮社からの新刊初稿の報告に興奮しすぎて、深夜まで書いていた。おかげでまとまらない文章をつらつらとメモ程度に書いたものになってしまって恥ずかしい。最後に『月の影 影の海』全体を振り返ろうと思うので、それまではメモ的要素が強くなるかも(まだどういうふうに書いていこうか、方針ができていないので)。
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〈あらすじ〉
雨の中力尽きた陽子は、楽俊という半獣に助けられる。楽俊と共に雁国を目指す途中、またしても蠱雕に襲われ、衛士を恐れた陽子は楽俊を見捨てて逃げてしまう。
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ここから下巻に入る。
"細い糸を撒いたように雨は降る。"
さりげないけど、すてきな書き出しだな、と思う。それほど激しくなく、静かに降る雨。けれど陽子の体温を確実に奪っていく。上巻の冒頭は、暗闇に水滴の音が響いていた。また水の気配が濃い書き出しだな…なんて思いながら読み進める。
何度も読んだファンは、この瞬間を待っている。楽俊登場。
初読の人は、ここまで耐える必要がある。上巻がハードモードすぎる。やさしいネズミが出てくるまで我慢して読まなければならない。
"「ラクシュンはどういう字?」
ネズミはもう一度、笑った。
「苦楽の楽に、俊敏の俊」"
この会話が、楽俊好きにとっては妙に印象に残る。「楽」や「俊」という字を口頭で説明するとき、ついこの例えを引いてしまう。
余談だが、小野不由美さんは、女子中高生から寄せられる悩み相談に答える形で、『月の影 影の海』を書いたという。それが本当だとすれば、陽子が見せる生への強い執念は、限界まで追い詰められた女の子に勇気を与えたかもしれない。
"この世界に陽子の味方はいないのだということ。行く場所も、帰る場所もないのだということ。自分がいかに独りかということ。
それでも生き延びなければいけない。味方も、生きる場所もない命だからこそ、心底惜しい。この世界のすべてが陽子の死を願うなら、生き延びてみせる。もといた世界のすべてが陽子の帰還を望まないなら、帰ってみせる。"
私がこの本をきちんと読んだ中学生のときは、陽子がやり直せない人生を、私はちゃんと生きようと思った。彼女にとっては、学校生活はどんなにやり直したくてももう叶わないもの。取り返しがつかなくなってしまったもの。でも、私は違う。もっと違う自分として生きたい。陽子の代わりに。…そう思わせてくれた。
話を戻す。楽俊に助けられるわけだが、ここでの楽俊の活躍ぶりは凄い。
人を信じられなくなった陽子の葛藤と第二の変化が、楽俊との関係の中に描かれるわけなんだけれど、楽俊にはもう一つ「説明担当」という役割がある。第五章で楽俊から与えられる情報量はすさまじい。十二国の世界のシステムや地理をそれはもう丁寧に教えてくれる。
陽子自身もこう言っている。
"陽子は少し呆然としていた。たくさんの知識を急速に詰め込まれたせいでもあり、あまりに急激に先の見通しが立ったせいかもしれない。"
"表に出る板戸を開けて姿を見せたのは、中年の女だった。"
楽俊の母、登場。そういえば、巧王が倒れ、次の王が楽俊の母になるのではないか?という噂がある。楽俊の名は「張清」。倒れた巧王も張姓だったため、楽俊が次の巧王になることはないが、母の名は物語には登場しない。父はもう亡くなっていて、戸籍上の関係を解消すればもしかして母の姓は張ではなくなっていて、もしかすると…なんて想像したりする。
十二国の人々の性質もここで描かれる。
"「作物なんてのは、天気が好くてちゃんと世話をしてりゃ豊作になる。天気がいいか悪いかは、天の気の具合のもんだ。泣いても笑っても降るときには降るし、旱るときは旱る。願ったところで仕方ねえもん」"
"「試験なんてのは勉強すれば受かるし、金なんてのは稼げば貯まる。いったい何をお願いするんだ?」"
この設定、どこかで活きてるのかな。とりあえずメモ。
陽子の闘いの中でも特に印象的なのが、蠱雕との闘い。日本での恨みがあるからな。
"妖魔に襲われるか否かは本人の用心深さがものを言うのか?襲われて助かるか否かは本人の力量がものを言うのか?
「……莫迦が」
ーだとしたら、この連中は無力すぎる。"
"余裕の笑みがうかんだ。
ー無理じゃない。"
陽子の変化が、これまでの苦労を物語る。散々妖魔に襲われて、裏切られて、陽子をこんな風に変えてしまったんだよな…。
"身内で血潮が沸騰して、荒れ狂う海の音がする。
ー獣だ。
ーわたしは、間違いなく妖魔だ。"
故郷で自分自身を見失っていた陽子が、ようやく見つけた自分の本性が獣かもしれないと感じて戸惑い、苦しんでいるような。
楽俊を置いて去った陽子が、自問自答し、蒼猿と話す場面。何度読んだだろうか。
"ー綺麗事ではない。人として当然のことだろう。そんなことさえ忘れたのか"
この一文が結構刺さった。世の中の「綺麗事」と笑われることの大半が、社会に生きる人として当然のことのように思われてならなかった。
"ー止めを刺してどうする。見捨てただけでもこんなに心に重いのに、殺してそれでどうやって生きていくのだ。命がありさえすればいいのか。どんな醜い生き物に成り下がっても、ただ生きていられればいいのか。"
もうここからは、刺さる言葉しかない。
"「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしのナニが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい」"
"追い詰められて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいんか。善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか"
"陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに"
説明不要、ですよね。『月の影 影の海』の大切な部分が、ここに詰まってる。
ここまでの陽子の苦しみは、このことを知るためにあったようなもの。