月の影 影の海(4)
第四章
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〈あらすじ〉
一人で旅を続ける陽子は、宿屋で松山誠三という海客の老人に会う。しかし、自分がただの海客ではないという事実を知り、老人にも裏切られる。次第に体力も奪われ、必死に妖魔を倒したところで、ケイキに似た姿の女に腕を剣で貫かれる。傷ついた腕を抱えてなんとか夜を明かすが、雨の中、ついに力尽きて動けなくなってしまう。
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陽子と両親との関係は、今からしたら明らかに古すぎる価値観のもとに築かれたものだけれど、1992年当時は共感する女子高生が多かったことだろう。
"女の子は清楚で可愛いのが一番。従順で素直なほうがいい。穏和しすぎるくらい内気で充分。賢くなくていいし、強くなくていい。"
そんな父親の考えが間違っていたことを、陽子が強く実感する瞬間。
"「そんなの、嘘だ……」"
"強くなくては無事でいられない。頭も身体も限界まで使わなくては、生き延びることができない。"
生き延びる、ということが陽子のひとまずやらなければならないこと。とりあえずそれがはっきりした。
陽子は宿屋で松山誠三という海客の老人と出会う。
これもまた厳しい出来事だけれど…陽子がただの海客ではないことがわかってしまう場面。
"老人が口にした「虚海」は少しイントネーションが違う。音も「キョカイ」よりは「コカイ」に近かった。"
ここで感じた言葉への違和感は、すぐに明らかになるわけだが。
"「そうか。…そうかえ。けんど、嬢ちゃん、その眼はどうしたが?」
陽子は一瞬キョトンとし、自分の緑に変色してしまった瞳のことを言われたのだと悟った。"
やっと同胞に会えた!と思ったら、「でもアンタは普通とは違うんやで〜」という嫌な予感を匂わせてくる小野主上。なんてこと。
松山に裏切られたことがわかった時、またしても潮騒の気配。
"苦いものが迫り上がってきた。怒りは陽子の中に荒れた海の幻影を呼び起こす。そのたびに自分が何かの獣になり変わっていく気がした。"
やはり、本来の陽子の解放に関連して捉えればいいのかな。十二国の人間である陽子と、自己主張をし強くたくましく生きる陽子。
異界に一人ぼっちで流され、異界の人間にも同胞にも裏切られ、果ては祖国の人々にさえ必要とされない現実をつきつけられる。それでも陽子はこう言うのだ。
"死にたくないのでは、きっとない。生きたいわけでも多分ない。ただ陽子は諦めたくないのだ。 "
陽子の本当の姿というか、陽子のいいところが出ているなぁと思う。真面目で一本気で、粘り強い。
月の影 影の海(3)
第三章
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〈あらすじ〉
民家に盗みに入った陽子は、達姐に助けられ働きに出る。刀の見せる祖国の風景に思いを馳せ、自分を惑わす蒼猿とともに旅をするが、陽子が連れて来られたのは女郎宿だった。再び妖魔に襲われながら、剣を使って陽子はまた逃げなければならなかった。
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"北のほうの戴国だってそうだ。戴国のほうはもっと酷いって話だよ。"
今日はついに新刊の告知があったが、この時点では泰麒は流されている。改めて、十二国記の設定の綿密さに驚かされる。
巧国に妖魔が増えたのか?と思える描写がまた出てくる。
"もともと妖魔ってのは、そうそう人里に出るもんじゃない"
"最近はどういうわけか多いけどね。危なくって、日が暮れたら外に出られやしない"
これだけでは、巧国が傾いているから妖魔が増えているのか、陽子を追っているから増えているのか不明。
陽子の本音を言葉にするだけだった蒼猿が、"あの女は信用しないほうがいい"と達姐の裏切りを見抜く場面がある。これが陽子の内心だったかどうかは微妙なところだが、おそらく陽子は達姐を信頼していたのではないかと思う。だとすると、やはり水禺刀は景王を守るために働くものなのだろう。
陽子が達姐に連れてこられたのは、女郎宿だった。緑の柱は女郎宿に決まってるらしい。胸元を開いたしどけない恰好をした女もいて、どうやら十二国にも性欲というものは存在するみたい。子供は木から生まれるのに。うん、やっぱりこういう微妙な設定の危険な部分は、陽子絡みなんだよな。
裏切りに気づいた陽子はまたしても潮騒の気配を感じる。
"耳に密かな音が聞こえ始める。潮騒に似た、微かな音。"
これはなんだか、内なる異界の血とは違うような気がする。保留。メモしておく。
達姐の裏切りが決定的なものとなった瞬間には次のような描写が。
"衝撃でか怒りでか、鼓動が振り切れるほど速い。押し殺した息が熱く喉を焦がして、耳を聾するほど荒々しい海鳴りの音がする。"
この「海鳴り」は、激しい潮騒のように思える。陽子が強く自分自身であろうとするとき、潮騒はざわめくのだろうか。そして陽子の本来の出自は十二国だから、陽子の本来の姿と異界が結びつくのだろうか。うーん。
"人は身内に海を抱いている。それがいま、激しい勢いで逆巻いているのが分かる。表皮を突き破って、目の前の男にそれを叩きつけたい衝動。"
この箇所からは、陽子自身の強い本性と、本当は十二国の人間であるということが陽子自身の中で結びついているが故にこういう表現になっているような気がする。うまく言えない。
馬腹(ばふく)が現れると、再びの陽子のスーパー・アクションシーン。
"いつの間にか集まった人間で人垣ができている。人垣の厚みを見て陽子は軽く舌打ちをした。この方位を本当に殺さずに切り抜けられるのか。"
おいおい、あのか弱かった陽子はどこへ行ったんだ。いつのまにそんなに強くなった。かっこいいな。たくましくなったな。
第三章は、もうこれ以上痛めつけないであげて!と言いたくなるくらい陽子ボロボロ。初めて親切にしてくれた人間に裏切られるなんて。しかも女郎宿。蒼猿というおまけもついてくるし。この章は、陽子の最初の変化が目覚ましいので楽しい。そして、十二国のシステムを知らない読者にとっては、自分たちと同じく無知な陽子が人々から少しずつ情報を得ていくので知識のペースがちょうどいい。そんなもんかな。
月の影 影の海(2)
第二章
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〈あらすじ〉
月の影を通る道中で投げ出された陽子は、ケイキらとはぐれ、ひとり砂浜で目を覚ます。そこが異世界であることを認識しケイキを捜すために人に声を掛けるが、海客として捕まってしまう。県庁へと護送される途中で妖魔に襲われながらも、剣を手に生き延び、林の中をあてもなく彷徨う。
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砂浜で目覚めた陽子は自分が赤い獣に変化していくという幻(夢?)を見るが、この場面には陽子が胎果であることがわかる描写がある。
まず、一つめ。
"濃く潮の匂いがする。潮の匂いは、血の匂いに似ている、と陽子はぼんやりそう思った。人の身体の中には海水が流れている。だから、耳を澄ますと身内から潮騒がする。そんな、気がする。"
景麒や妖魔、つまり異界のものたちが登場する場面で漂っていた潮の気配を、陽子は自身の内側から感じている。陽子が本来"こちら側"に近い存在であることが表現されていると考えられる。
そして、二つめ。
"…次いで自分の身体を検めて、よくも怪我をせずに済んだものだと思う。細かい擦り傷は無数にあったが、怪我と呼べるほどの傷は見当たらなかった。ついでに、何の変化もない。"
なぜか丈夫になってしまった陽子だが、これは景麒とすでに主従契約を交わし、後に六太が言うように「ほとんど王」状態になっていることの表れである。神仙かそれに近い不死身の肉体だ。
これはおまけだが、続編を読んでから読み返すとおいしいポイントがここに。
"ケイキは「捜した」と言っていた。きっと彼は主を捜していて、何か重大な間違いを犯してしまったのだ。"
泰麒の過ちを知っている読者からすれば、「間違えることはないんだよなぁ、それが」と微笑んでしまう。なんでこういう仕掛けができるのか、小野さんは。
陽子が流れ着いたのは巧国の配浪(正確には巧州国淳州符楊郡盧江郷槇県配浪)だが、どうやら巧の情勢が怪しく思える描写を見つけた。
"大きな水槽の、水の底で眠りについた廃墟のような街だった。"
"赤く塗られた柱、鮮やかな色の装飾、なのにどこか空々しい感じがするのは街の雰囲気と変わらない。"
このあたりの街の表現は、活気とは真逆な感じ。廃墟のよう、というのも、もしかしたら妖魔を恐れて外出を控えているのかもしれない。
陽子が長老に問われてポケットの中の物を出す時の
"並べてみせると、老婆はどういう意味なのか、頭を振る。溜息をつくようにして机の上の品物を着物の懐に収めた。"
という反応も、賄賂を求めたような気がしてならない。直前に人払い(侍女を下がらせただけで人払いとまでは言えないか)もしているし。
さて、ここからが陽子の巻き返し。一介の弱い高校生だった陽子が、強くたくましく成長していく物語の始まり。陽子の中で生命力スイッチが入った瞬間があるとすれば、次の一文のような気がする。
"陽子の頭の中で、何かが猛烈な勢いで回転を始めた。こんな速度でものを考えたことは生まれて初めてかもしれない。"
馬車で揺られながらの、次の一言がいい。
"「そうかしら。あれは飾りものだけど、とても高価なものなんです」"
なんとかして剣を取り戻して逃げてやろうという策略家陽子。このあたりめっちゃ応援したくなる。
私がとても好きなのが、馬車を妖魔に囲まれる場面。ゴーストハントシリーズや屍鬼、残穢で見せてくれた秀逸なホラー描写がここにも。
"「無視しろ。山の中で人を喰らう妖魔は、赤ん坊の声で鳴くそうだ」"
"おああ、と赤ん坊の声がすぐ間近から聞こえた。それは明らかに近づいてきている。その声に応えるように、別の方向から鳴き声がする。あちらからもこちらからも鳴き声が聞こえて、馬車の周囲を取り巻くように張りつめた声が坂道に響き合った。"
"失踪する馬車の速度を意に介さないように、声はただ近づいてくる。赤ん坊ではない。子供ではありえない。"
姿は見えないのに、そこらじゅうから赤ん坊の声がする。ものっそい怖い。
戦う、戦う陽子。戦闘シーンの描き方も上手い。小野不由美はすごい。
"鞘と剣とは離してはならないと、そう言われたが、それは鞘にも何かの意味があるということなのだろうか。それとも、鞘には珠がついていたからだろうか。"
こういう丁寧な伏線の張り方も、見事だ。後の蒼猿の正体がわかる場面に繋がるところ。
剣は、鞘を失くしてすぐに暴走を始める。
刀身に幻が映る場面では、"高く水の音がした。洞窟の中で水滴が水面を叩くような音には聞き覚えがあった。"とある。やはり、陽子に妖魔が迫っている危険を夢で知らせていたのは水禺刀なのではないかな、と思う。
『月の影 影の海』上巻は、本当にハードモードだ。少女向け異世界ファンタジーとしてはハードモードに過ぎるくらい。異国で逮捕され、妖魔に襲われ、挙句の果てに「死ねば楽になる」なんて囁いてくる蒼猿が見える。まだまだハードモードは続く。
月の影 影の海
第一章
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〈あらすじ〉
平凡な女子高生の中嶋陽子は、厳しい両親とそれほど思い入れの持てない友人たちに囲まれ、いわば灰色の高校生活を送っている優等生。ある日突然、夢の中で日に日に近づいてくる異形の怪物が学校に現れ、金の長髪に奇妙な服を着た「ケイキ」と名乗る男に強引に連れ去られる。
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ファンタジーにとって書き出しの印象は重要だ。
家の周りにフクロウや猫が集まったり、洋服ダンスの奥へ潜りこんだり、指輪をはめて姿を消したり…それは主人公が異世界へ入っていくのと同時に、読者が物語世界へ入っていく瞬間である。
十二国記の場合はこうだ。
"漆黒の闇、だった。
彼女はその中に立ち竦んでいる。
どこからか、高く澄んだ音色で滴が水面を叩く音がしていた。細い音は闇に谺して、まるで真っ暗な洞窟の中にでもいるようだが、そうでないことを彼女は知っていた。"
真っ暗な中にただ水滴が落ちる音のみが響く。幼いころに焼きついたこの不気味な光景は、頭から離れない。
今後の展開を踏まえて言うなら、この水滴のイメージは陽子が王の卵であることに何か関係がありそうだ。水禺刀に象徴されるように、景王の王としての支配力はどうやら水に関連するものとして表れることがある。この時点ではまだ、遠くの出来事も思うまま見せる水禺刀を陽子はコントロールできていないが、水禺刀が王の卵に危機を知らせるために見せていると言えなくもないか。
夢の中で異形の獣の群れは近づいてくる。
"猿がいて鼠がいて鳥がいる。様々な獣の姿をしていたが、どの獣もどこかが少しずつ図鑑で見る姿とは異なっていた。しかもそのどれもが、実際の何倍も大きい。赤い獣と黒い獣と青い獣と。"
"異形の者たちは犠牲者を目掛けて走っているのだ。生贄を血祭りに上げる歓喜に、小躍りしながら駆けてくる。"
百鬼夜行のようだ。そうだった、ホラー作家の初のファンタジー作品なんだった、と思い出させるスタート。
"身体の中で血液が逆流する気がする。その音が耳に聞こえるような気がする。それはひどく潮騒に似ていた。"
「潮」「潮騒」といったキーワードは頻出だ。『魔性の子』では特によく登場する。「磯の香り」のような言葉でも出ていた。おそらく、異界と現実世界が交差した時の、何か予感のようなもの。不安、違和感…。そういうものをイメージさせるのが「潮」なのだろう。
続きを読む本題に入る前に
今年も12月がやってきた。
12月と言えば、十二国記読者にとって少し特別な月である(おそらく)。
ここ数年、12月28日には新潮社の公式サイトが更新される。
そして「年末のご挨拶」として、続編の刊行が遅れていることのお詫びが掲載されるのだ。
ファンは待っている。もうとっくに心の準備は出来ている。
小野不由美先生の体調を心配しながら、ずっとそわそわしている。
そわそわと動く指を持て余し、文庫本のページを開き、何度も新しい発見をする。続編の展開を予想できそうな材料を見つけたらメモして壁に貼り、小野先生によって紡がれる世界の未来に思いを馳せる。
そろそろ、誰かと共有したくなってきた。このブログが2018年11月現在刊行されている巻までたどり着くころには、新刊が出ていることを信じて。
ここから先は、激しいネタバレが含まれることを許してほしい。あくまで既に十二国記を飽きるほど読んだファン向けに書いていくつもり。未読の人はシリーズを何度も何度も読んで、自分なりの考察を深めてからまた来てください。(少なくとも十二国の配置がすらすら出て来ないなら見ないほうがいいです)
共に続編を待つ蓬莱国のみなさん、よろしくお願いします。