十二国記について語りたい!

十二国記のネタバレ感想・展開予想・愛を叫びます

月の影 影の海

第一章

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 〈あらすじ〉

平凡な女子高生の中嶋陽子は、厳しい両親とそれほど思い入れの持てない友人たちに囲まれ、いわば灰色の高校生活を送っている優等生。ある日突然、夢の中で日に日に近づいてくる異形の怪物が学校に現れ、金の長髪に奇妙な服を着た「ケイキ」と名乗る男に強引に連れ去られる。

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 ファンタジーにとって書き出しの印象は重要だ。

家の周りにフクロウや猫が集まったり、洋服ダンスの奥へ潜りこんだり、指輪をはめて姿を消したり…それは主人公が異世界へ入っていくのと同時に、読者が物語世界へ入っていく瞬間である。

 

十二国記の場合はこうだ。

"漆黒の闇、だった。

彼女はその中に立ち竦んでいる。

どこからか、高く澄んだ音色で滴が水面を叩く音がしていた。細い音は闇に谺して、まるで真っ暗な洞窟の中にでもいるようだが、そうでないことを彼女は知っていた。"

真っ暗な中にただ水滴が落ちる音のみが響く。幼いころに焼きついたこの不気味な光景は、頭から離れない。

今後の展開を踏まえて言うなら、この水滴のイメージは陽子が王の卵であることに何か関係がありそうだ。水禺刀に象徴されるように、景王の王としての支配力はどうやら水に関連するものとして表れることがある。この時点ではまだ、遠くの出来事も思うまま見せる水禺刀を陽子はコントロールできていないが、水禺刀が王の卵に危機を知らせるために見せていると言えなくもないか。

夢の中で異形の獣の群れは近づいてくる。

"猿がいて鼠がいて鳥がいる。様々な獣の姿をしていたが、どの獣もどこかが少しずつ図鑑で見る姿とは異なっていた。しかもそのどれもが、実際の何倍も大きい。赤い獣と黒い獣と青い獣と。"

"異形の者たちは犠牲者を目掛けて走っているのだ。生贄を血祭りに上げる歓喜に、小躍りしながら駆けてくる。"

百鬼夜行のようだ。そうだった、ホラー作家の初のファンタジー作品なんだった、と思い出させるスタート。

 

"身体の中で血液が逆流する気がする。その音が耳に聞こえるような気がする。それはひどく潮騒に似ていた。"

「潮」「潮騒」といったキーワードは頻出だ。『魔性の子』では特によく登場する。「磯の香り」のような言葉でも出ていた。おそらく、異界と現実世界が交差した時の、何か予感のようなもの。不安、違和感…。そういうものをイメージさせるのが「潮」なのだろう。

 ここからの陽子の日常生活の描写はなんとも見事だ。ギャグもなく、コメディもなく、女子校の日常をシリアスに描く。宿題をきちんとやってきたことを「うち、母親が煩くて」と角が立たないようにごまかす。「清楚なのがいちばんいい」「目立たず、穏和しくしてるのがいい」「賢くなくていいし、強くなくていい」という両親のしつけにも従うしかない。

またこの時点での陽子の性格は、隣の席の杉本へのいじめに参加させられる場面によく表れる。

"周囲の期待を裏切る勇気は持てないけれど、同時にまた、隣の席で俯いているクラスメイトにあえて酷い言葉を投げつける勇気も持てなかった。それで陽子はただ困ったように笑う"

陽子の周囲で起こる出来事は、どれも一度は経験、もしくは想像するものだろう。不満にくすぶっているのに自己主張するほどの勇気はなく、なんとなく同調する日々。陽子の中に自分を見た読者がたくさんいるはずだ。(もちろん私もその一人)

 

次に引用するのは、景麒の登場シーンだ。

"「……見つけた」

声と一緒に微かに海の匂いがした。"

ここでもやはり潮の香り。他にもこんなシーンで。

"「何だ!?」

担任の声に閉じた目を開くと、教師はガラスが割れた窓に駆け寄り、外を見廻していた。広い川に面した窓からは冷たい風が吹き込んで、冷気と一緒に何やら生臭い臭気を外から運んで来ていた。" 

書きたいことは山ほどあるのだけど、この調子で物語を追っていくと膨大な字数になってしまう。第一章から印象的な場面だけをピックアップしていこう。

 

"茶色の翼。毒々しい色合いの曲がった嘴が大きく開かれ、興奮した猫のような奇声を上げている。"

夢の中で見た異形が現れた。「蠱雕(こちょう)」だ。「妖魔は赤子の声で鳴く」というが、ここではその鳴き声が「興奮した猫のような奇声」と表現される。

 

"「お泣きになっている場合ではない」"

"「何を悠長なことを言っておられる」"

"「あなたがお斬りにならなかったのだから仕方ない」"

これはすべて景麒のセリフ。景麒のキャラクターがすでに完璧に出来上がっている。

 

『月の影 影の海』第一章について書きたい放題書いてきたが、この章には十二国の仕組みにも通じる大きな出来事が描かれている。麒麟胎果の王を探しに来る、ということである。

十二国の王の選定がどのような仕組みになっているのかについては、様々な意見があるだろう。『図南の翼』の昇山からわかるように、王というのは行動や言葉によって「なる」ものである。王の卵が王として選定されるには、王たる資質があることを示さねばならない。だが、胎果の王に関してその理屈は通らないのだ。

いや、第三巻で詳細に分析する必要があるが、おそらく延王尚隆に関しては通るだろう。しかし、景王陽子に関しては、王たる資質を示しているようには思えない。彼女は国を治めたこともなく、自己主張すらできない気弱な日本の女子高生だ。日本の、ましてや十二国の未来を憂えたことなどない。

 

こういう設定の破綻しそうな部分は、『十二国記』シリーズがラノベ発の小説であることに由来する、というのが私の考えだ。そう言ってしまったらおしまいかもしれないが。ライトノベルとして、中高生の女の子に読んでもらう必要があったのだろうと推測する。そして女子高生を主人公にするために、様々な設定の縛りがあった。子供が卵果に実るという謎の設定も、女性が王であっても不思議のない世界(出産や育児が存在しない)を作るためと考えられる。